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金子直吉(1)

 四国の南端、薩摩嵐のそよ吹く土佐の国は、我が財界二大偉人を送った。一は岩崎弥太郎、一は金子直吉だ。弥太郎は、人も知るとおり現今三井と並び称される世界的富豪三菱の鼻祖、時代が遷っているとは言うものの、彼が死んだ時の三菱の財産はせいぜい約二千万円。その事業は三菱汽船会社(後に郵船会社となる)、高島炭鉱くらいのものであった。
 これにひきかえ鈴木商店すなわち金子の事業は、到底弥太郎逝去当時の三菱の比ではなかった。日本において他の追従を許さないのみならず、世界の桧舞台に押し出しても当然ファーストクラスに伍するものであった。すなわち鈴木の支配下における事業と投資額はざっと次のとおりである。

製鋼製鉄業 40,000千円
造船業 30,000千円
人造絹糸工業 35,000千円
製油(大豆油)工業 10,000千円
硬化油工業 6,000千円
樟脳事業 6,000千円
ハッカ事業 2,000千円
窒素工業 6,000千円
製錬業 30,000千円
石炭業 27,000千円
汽船業 30,000千円
製糖業 10,000千円
石油業 10,000千円
製粉業 10,000千円
毛織業 5,000千円
紡績業 7,000千円
酒類(ビール、焼酎業) 7,000千円
倉庫業 6,000千円
開墾埋立 6,500千円
マッチ業 3,000千円
塩業 3,000千円
支那タバコ業 2,000千円
南洋殖林業 2,000千円
シベリア木材業 4,000千円
セルロイド業 1,000千円
ファイバー工業 1,000千円
ゴム工業 1,000千円
レザー工業 1,000千円
乾溜工業 4,000千円
保険業 1,000千円
染料工業 1,000千円
繰綿工業 1,500千円
無線電信業 1,000千円
漁業 1,000千円

計 321,000千円

 投資額約三億二千百万円、会社五十余、これだけの膨大な資本と会社を、五千万円の合名会社鈴木商店と五千万円の株式会社鈴木商店で動かしていたのだ。そして、製造工業やその他の事業の他に、世界をまたにかけて我が輸出入貿易の大半を取り扱い、一年の商売高は十億を算し、大正八、九年の全盛時代には十六億に上ったという。
 三井物産の昭和三年における商売高は十二億六千万円で、会社創立以来の最高記録であったが、大戦前後は十二億円くらいだったから、当時はさすがの三井も鈴木には及ばなかったと見える。当時、スエズ運河を通過した船舶積荷の分量からいっても、鈴木関係は約一割を占めていたそうだ。そして、大戦中に鈴木の手で正貨を我国に吸収した額は、ざっと十五億に達した。以て、鈴木が我が国際貸借に偉大な貢献をしたことがわかる。
 のみならず鈴木は、人造絹糸、製油、樟脳再製、窒素工業のような我国に必要な基礎工業にも先鞭をつけた。その英雄的行為は驚嘆するにあまりあるではないか。
 ナポレオンは、モスクワの戦に一敗地に塗れて、遂にセントへレナで悶死したが、やはり彼は歴史上の偉大な英雄であることは失われない。それと同じく、昭和二年四月若槻内閣当時、例の金融動揺にあって、鈴木商店は脆くも没落したが、首脳者金子は我財界におけるナポレオンに比すべき英雄だ。