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佐々木勇之助(3)

 第一は前述の通り、資本金一吉四十四万八百円で営業を開始したが、端数は体裁宜しからずとあって二百五十万円とし、後明治七年、小野組の破綻により同組及び関係者所有の株式を百万円減資して百五十万円になり、それ以来業務の発展に伴い増資と他行の合併で、昭和三年下期決算によると、資本金は五千七百五十万円(全額払込済)になった。また積立金は六千二百八十万円で、払込みを超過し、預金総額は五億九千七百三十万円に達するという膨大な数字を示している。我国に国立銀行で創立されたものは百五十有余を数えるが途中名称を変更するか、あるいは他に合併されもしくは没落して、今日に至るまで共艦現存するものは極めて少ない。その中に、独り第一は名称を存続するのみならず、内容においても三井三菱と並んで、押しも押されもせぬ一流銀行にのし上げた功労は偉大なものだ。
 佐々木は、金子直吉と性格において全然違うが、婦人道徳にかけて堅固な点は、何れ兄たり難く弟たり難い。それもそのはず、佐々木の父は昔の武士に特有の極めて厳格な人で、母も父と同様の厳しい人だったから、自然その感化を受けたものだろう。もちろん、細君の他には異性を知らない。
 佐々木は体量十三貫四五百、身の丈五尺三寸弱、まあ弱い方だが、七十六才の今日、病気らしい病気をしたことがなく、その精勤慎勤振りは驚くばかり、ほとんど銀行を欠勤したことがない。酒も晩酌に一合くらいはやるしタバコも好きだ。それでいて、若い時からこれという目立った養生法をしないで、年よりも十歳くらいは若く見える。それは何故か。
 小山は妻女に先立たれ、老後孤独な淋しい生活を送ったのに反して、佐々木は幸い妻女が達者で、四男五女という子福者。銀行を退けて帰宅すると、そこに家庭の明るい団欒が待っている。名利に活淡で、株を買って儲けようとか、地所に思惑しようとか、または貴族院議員になろうとかの虚栄心もない。ただ銀行の業務を真面目に、孜々営々と働くのみ。すなわち俯仰天地に恥じない行動をなし、少しも心労がないから、自ら健康が維持出来るだろうと思う。くだらない野望を抱き、年中あくせく心配し、また婦人に戯れてそのために天寿を全うすることが出来ない人々は、佐々木の爪の垢でも煎じて飲んだらよかろう。
 佐々木は永年の経験で、財界人の資産信用を熟知しているから、この人に金を貸してよいか、またいかほど貸してよいか直ちに判断出来る。そして、各務と同じく、イエス・ノーをはっきり言う。神ならぬ佐々木だ、稀には貸し損ないもあるが、その場合あくどく取り立てるとか、担保品をどしどし処分するとかの手荒なことはしない。出来るだけその人の面倒を見てやるから、第一で借金した人は、たとえ他を倒しても第一には絶対迷惑をかけない気になるという。この点も小山健三によく似ている。否、実は小山が佐々木から学んだものであろう。
 佐々木は、銀行では極めて真面目でこわい人に見える。けれども、家庭における佐々木は、冗談も言えば笑いもする。俗にいう好々爺だ。それに、子供が皆な出来がよい。子沢山でも、出来が悪ければないよりも悪いが、佐々木の長男は大蔵省に奉職、次男は第一の副支配人、長女は岡実に嫁している。誠に幸せなことだ。
 ニューヨークのファース卜・ナショナルバンク(第一国立銀行とでも訳すべきか)の取締役会長ジョージ・F・ベーカーは、九十歳の今日なお矍鑠として行務を鞅掌している。この銀行は、ナショナル・シティーバンクほど大きくはないが、信用においては米国第一だ。またバンカーとしてもベーカーは第一人者である。ミッシェルの如きすらべーカーに対して一目置いている佐々木は、ちょうどベーカーに似ている。差し詰め和製ベーカーとでも言うべきか。
 ただベーカーは、自身の資産五億ドルという大金持ちだが、佐々木の資産は到底比較にならない。永年の給料を食い残したという程度だ。だが、佐々木の今日の健康から推断するに、恐らく佐々木は、ベーカーのように九十歳になっても、なお壮者を凌ぐ元気で、相変わらず第一の門を出入りすることであろう。

(附記)

「…第一銀行は一に渋沢子爵らの力により、たとえ老生が御大典の盛儀に参列する光栄に浴さないといえども、そのために第一銀行の信用が傷つくようなことにはならないのでございます…云々」(佐々木氏の著者宛書簡の抜粋)
 著若もこれにはもちろん同感なのだが、ともかく銀行の外観だけを見て内容を研究しない預金者に対する頂門の一針として、本文のように書いた次第である。