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各務鎌吉(6)

 各務は、意地っ張りで独立心の強い男だ。妻君をもらった当座の貧乏時代の如きも、俺は金持ちのお付き合いは一切御免被るといって、夫婦とも借家に住んで済ましていた。お付き合いは今でもやらぬが、元は酒が好きだったから、会心の友達と新橋辺りの旗亭で胴間声を張り上げて唄い、大いに浩然の気を養った時代もあった。その時分、誰か各務を引かけて大いに絞ってやろうと、奥田と私とで計画し、内々田川の女将に話しかけた。女将は早速呑み込んで、各務を魔道に引き摺り込もうと努めたが、その計画も結局画餅に帰してしまった。
 また私の友人で、各務の知人の山口恒太郎は、各務を政界に引き込んでその金を使わせようと多年ご機嫌をとって、八方努めたものだが、各務は一文も出さず、到頭山口の努力も働き損に終わり「各務だけはあきまへん」と兜を脱いだことがある。
 それでは、各務はけちん坊かというと、左様でもない。各務の友人某が、散々失敗して財界の落伍者になって、誰一人顧みる者もなかった時、各務はその男のために、資金十万円を出してやって商売をさせたことを記憶している。その他、五千、一万と、内緒で金を出して、人を救うことは沢山ある。ひっきょう各務は、金を出して慈善家の虚名を博するのを嫌い、かつ出せと言えば出さぬという旋毛曲がりと見える。
 丸い卵も切りようで四角、金もやりようで仇となる。先年岩下清周が、井上侯に取り入ろうとして、寵妓丸子の袂に百円札二枚をそっと放り込んだ。丸子の馬鹿め、岩下が自分に思召があると勘違いして、井上に忠節顔して、岩下さんからこんなものをもらいました、と井上の前に紙幣を出して見せた。井上は俺の女を盗もうとは怪しからん、と烈火の如く怒って、岩下の出入りを差し止めたことがある。各務もこれに似た話がある。火保問題当時、大阪の大和屋の宴会で、女番頭おらく(昔はお染といって八千代、政弥と並び称せられた美人の一人だ、四十の姥櫻、満更捨てたものでもないと当人は自惚れている)に、江戸っ子の気前を見せて百円札をやったところ、相手がけちん坊で評判の各務と来てるから、てっきり自分に…と早合点して、酔に紛れて各務のほっぺたにキスして、各務を面喰わせたことがある。
 東京海上ビル内中央亭の食堂に昼飯時集まる常連は、各務を始めとして海上ビル内に間借
りしている人々、すなわち福沢桃介松永安左ェ門増田次郎今岡純一郎長崎英造青木徹二、日向利兵衛、奥田正吉らで、時々この食堂に来る人は島田俊雄山下亀三郎岩田宙造沢田牛麿小林一三井坂孝らである。この食堂では時事問題について、勝手な熱を吹くが、各務は無口に似合わず、ウィットとユーモアに富んだ口調でいろいろな問題に剴切な批評を試みることがある。各務に親炙し、かつ井上準之助の乾分である井阪は(本人はーー俺は横浜商工会議所の会頭で、井上の乾分でないというかも知れぬが、世間が乾分と見てるから仕方がない)、直ちに各務がこう言ったああ言ったと一々井上に内通して、井上の神経を尖らせるのは往々のことだ。中央亭の一食堂、貧弱なる少数を盛るとはいえ、工業倶楽部や経済聯盟に対する一敵国たるの観あるは、一に各務の存在が然らしめるのである。
 先にお望みとあらば、各務の尻の穴の毛が何本あるかまで取り調べてお話が出来るといったところ、ある読者から何本あるか調べてもらいたいという葉書に接した。早速各務に問い合わせたところ、彼が言うには、先年痔疾を患ってその治療のため尻の穴の毛を全部抜き取られ、今では一本もないとの事だが、私の観測するところでは、そうではあるまい。実は、この頃岩崎小弥太のおだてに乗って、ついうかうかと郵船会社の社長になったためだろう。