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各務鎌吉(5)

 人間は、「イエス」「ノー」をはっきり言うのが難しい。とりわけ「ノー」に至っては大概の人は躊躇する。けれども、各務はその「ノー」をはっきりいう勇気がある。まことに、各務に金を借りに来る人があって、このようのために、金額はどれほど、担保その他の条件はこうと説明すると、相手の話を黙って聞いていて、相手の説明が終わると、その蛇のような細い眼を閉じるか、もしくは一層細くして暫らく熟慮したのち貸す貸さぬをはっきりいう。もしそれ、彼のちび口から、貸さぬの一言が出たら最後、如何に説明しても哀訴嘆願しても例の十太刀の構えのまま、生ける木像の如くまつ毛ひとつ微動だにさせずに黙っている。相手が根負けして悄然立ち去る時も、お気の毒だとも、何ともお世辞ひとつ言わない。冷やかなグッドバイの一言で追い返してしまう。その代わり、貸してもよいと思ったら、担保利子期限等について意見を持ち出すが、金額が多過ぎるから減らしなさいなどとは、かつて言ったことがない。だから、各務に金を借りに行く人は、この呼吸を呑み込んで、二百万の借金を申し込み、ご都合悪ければ百五十万でも百万でも宜しいなどのお世辞は、夢いうべからずだ。それこそ折角縦に振りかけた各務の首が急に横に振られるであろう。
 各務は、荘田平五郎に非常によく似ている。頭が組織的で、すべて理窟攻めで押して行く。数字的に熟慮する。だから、いつも冷静で浮かれることを知らない。欧州戦争勃発当時、岸本、辰馬らの金持ちは別として、大概の船主は東京海上の資金を仰ぎ、各務もまたどしどし貸してやった。その後船値が暴騰し、船成金が続出するに至ったが、かくの如き国をあげての戦時好況熱も、各務を浮かれさすことは出来なかったのみならず、最早や危うしと見た各務は、びしびし資金の回収にかかったので、東京海上のひっかかりは極めて少なかった。中には、各務の厳重な催促に、いやいや船を売って、かえって成金没落の悲運を免れた者もあり、当時各務を悪魔の如く恨んだ人も今では仏のように崇拝しているという。
 明治三十二年のこと。各務再度の渡英で、いよいよロンドン支店をつぶし、ウィリス・フェーバーに代理店を委託してロンドンを引きあげようとした際、留別の宴を張った。席上各務は、「実は東京海上は、一時危険に陥り、破産に瀕したが、皆様のご後援により、今は回復して安心出来る業態となった。故に、業務を代理店に委託して引きあげる云々」と数字を示して説明した。列席の者は、始めて東京海上に危険時代があったことを知って、今更ながら唖然とした。それよりも、そんな時代に拘らず、少しもボロを出さず、英国人に立派な会社と思わせて、安心して取引させた各務の手腕に二度ビックリしたという。
 各務の頭は、前にも話したように組織的に出来ている。その上智略があり、熟慮して断行する勇気もある。その各務をこのまま東京海上だけに置いておくのは、国家の人物経済上誠に惜しい。財政難に陥れる方今の我国を救済するために、一つ各務を大蔵大臣に起用して存分に手腕を発揮させてはどうか。先年西園寺が、山本達雄を民間から拾い上げて大蔵大臣にすえ、大いに成績をあげたことは諸君の知るところであろう。
 各務は若い頃、益田英作、犬塚信太郎らの悪友と、ロンドンや東京で大分発展したものだが三十四で今の妻君をもらって以来女遊びをぶっつりやめた、といって各務の人格を賞揚する者がある。それは当然だ、あんな妻君を持って道楽が止まぬようでは余程どうかしている。各務の妻君は本年とって四十九歳というから、各務が三十四で貰った時は、十三下の二十一歳、ずい分年下の若いのをもらったものだ。そして、各務は身の丈五尺六寸、体量十七貫、立派な体格の持主で、健康なためか頭には白髪が少なく、年よりもずっと若く見えるけれども、御面相はどう贔屓目に見ても、いい男の部に入らない。しかし、妻君は、背がスラりとして色白で、素人には珍らしい美人、名を繁尾といい、土佐の人藤岡の娘でその母は岩崎弥太郎の妹だから、三菱の当主久弥と従兄弟同士の間柄だ。だが、立派な里方を鼻にかけるようなことは毛もなく、各務によく仕えて、家庭は常に鮮明である。すなわち、各務の妻君は、妻と妾と芸者を兼用したような女だから各務が道楽しないのもまた当然だ。