昨秋の御大典に際して、実業家で授爵位叙勲の鴻恩に浴した者は少なくなかった。その中で、団琢磨は男爵、藤山雷太、池田成彬らは従五位に叙せられた。しかし、池田、串田でさえ一目置いている各務は、山下亀三郎、鈴木島吉、牧田環らと同格の正六位だったから、各務は、山下、鈴木、牧田らと変わるところなく、団に比してはもちろん、藤山、池田らよりも下格と世間は見ている。そう見られているところが、各務の各務たる所以で、また東京海上をあれ程に仕上げた最大原因である。
東京の大銀行会社の首脳者の多くは、朝飯をすますと、ヤレ友人間の喧嘩の仲裁とか、ヤレ議員選挙の運動費を出してくれとか、続々詰めかける訪客の応接に忙殺されて、十二時頃のっそり銀行会社に顔を出す。それから、同僚と馬鹿話をしながら昼飯を食う。終わると葬式に行く、何々委員会に出席する。そして五時か六時になると、帝国ホテル、工業倶楽部の歓迎会や、婚礼の披露に出て、八時頃になると、新橋辺りの旗亭を二三軒うろつきまわって帰宅するのが、日課になっている。こうして一日を無駄に暮して、真に銀行会社に働く時間は、僅々三十分か一時間位に過ぎない。これでは成績があがらないのも無理はない。
各務にはどういうものかそれが出来ない。朝会社に出勤して、中央亭で昼飯に費やす時間を除いては、夜七時八時まで会社に居残って熱心に仕事をし、ビジネス以外の訪客には、遠慮なくドシドシ門前払いを喰らわす。夜のお付き合いの会合には一切顔を出したことがない。自然俗受けは悪いが、会社のため株主のためにはまたとない忠実な公僕だ。
話は違うが、武藤山治、和田豊治の両人は、共に紡績界の麒麟児とうたわれた。しかしながら、武藤が依然として鐘紡の武藤であるに反して、和田は富士紡の和田にあきたらず、天下の和田になったばかりに、富士紡は到頭鐘紡に一籌を輸するに至ったのだ。それと同じく、俗界における各務の格式が低ければこそ、東京海上が世界的大会社になったのである。偉くなりたい、褒められたいの鯛づくしでは、大きな鯨は獲れないものと知るべきである。
一家の平和と繁栄は、女房の内助にまつことが多い。各務に対する平生は、正に好適の女房役だった。
各務と平生は、性格の相違点が少くない。各務はどちらかというと、無口で舌の回転が遅い方であるのに反して、平生は大の饒舌家で早口と来ている。十年ばかり前だが、平生が松方幸次郎、小林一三らと大阪から上りの夜行に乗り込んだ時のこと、食事を済ませて三人で喫煙室に集まった。松方、小林とて喋る方では敢えて人後に落ちないが、平生には到底かなわず、平生一人に喋り立てられた。堪まりかねた小林が「オイ平生、いい加減にやめて寝台へ行ってひと眠りしようじゃないか」といった時に、気がついて見ると、何時の間にかガランとした大きな停車場に着いていた。目指す東京駅だったのだ。
それほどおしゃべりで、その点では各務と正反対の平生も、虚名を嫌い社交界の出入りを嫌い、一意専念会社のために働く点においては、全く各務と同じだ。平生は最近実業界を引退して、育英事業に身を投じたが、それまでは陰に陽に各務を助け各務の短所を補うことに努めたものだ。
会社の首脳者がそういう風だから、従業員の勤務振りも自ら他と異っている。それらも東京海上反映の一原因だ。
各務の遊友に奥田正吉というのがある。柳生流の剣道の達人だ。各務は、その奥田から剣法の秘法を授かったものか、十太刀の構えで人と応接談判する。すなわち、相手に身体を真向にせず、左の肩を突き出し、身体を斜にして、少し反り身になる癖がある。もっとも各務は若い時から衣紋竹というあだ名をとっており、殊に左の肩が少し高く突き出している。歩く時も、その格好で悠々と歩く。