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金子直吉(8)

 金子は、須磨にある中国風の粗末な西洋館に住んでいる。一ヶ月の経費は、驚くなかれ、わずかに九十円。例の品行方正で他人の情を汲み取ることを知らないから、他人も自分同様で暮して行けるものと思った故か、鈴木商店の店員の給料は他に比して低かった。故に、鈴木没落の今日、一人として安楽に後日を送り得るほどの貯蓄ができた者はない。しかし店員は何故薄給に甘んじてよく働いたかというと、鈴木の事業商売がどんどん拡張されて行くその面白さについ引きずられていたものと察せられる。
 という風で、相当の人物もあっただろうが、金子の他に名の知られた者は、ロンドン支店長を勤めた高畑誠一くらいのものだ。藤田謙一金光庸夫長崎英造ら相当世間に名を売った者もあるにはあるが、これらはみんな外様で子飼いの店員ではない。
 三井物産は、明治九年に創立され、今日に至るまで、その間五十有余年、事業の発達に伴い人材も出来た。鈴木は大戦勃発後、短時日の間ににわかに大きくなったもので、人物がこれに伴わなかった。これも失敗の一原因ではある。
 金子は大の寒がり屋だ。平素着ているラクダの背広には裏に真綿が入れてあり、しみったれには似合わず一着二百円くらい奮発した高価なものだ。粗服を着ているなどと軽蔑するのは間違っている。
 金子は湯が大嫌いで、入浴は月に一度くらい。それからまた扇風機が大嫌いとある。山下亀三郎は、この呼吸を呑み込んでいるから、金子との談判にたじたじと来ると、早速扇風機を金子の方に向けて金子を降参させる。
 鈴木丸は、すでに暗礁に乗り上げて沈没した。船長金子は、これの引き揚げに日夜腐心している。さていよいよ浮き上った時、何程の貨物が残るか。また、金子は従前通りこの船に乗って航海を続けるか。はたまた政界に乗り出して日本丸の船長となるか。もしくは仏門に入って衆生を済度するか。あるいは伯夷叔齊となって深山に隠遁するか。こればかりは解けぬ謎である。
 金子は、碁将棋書画骨董等の道楽がない。詩も作らぬ。歌も詠まぬ。時々発句はやる。大正十一年の春、窮迫の結果、銀行に頭を下げざるを得なくなった時のこと、金子の心も知らず無心に咲き誇る窓外の花盛りを見て、

背水の陣屋を囲む桜哉

と唸ったものだ。
 これがなければ金子は一層よい男なんだが…、珠に疵か疵の珠か。