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原田二郎(2)

 その代わり、貸金の取り立ては随分峻烈を極めた。如何なる脅迫も勧誘も、原田を動かすことは出来なかった。
 その例は沢山ある。一例を話すと、原田が後年鴻池銀行の首脳者になった時、岩下清周鈴木藤三郎らが主として経管の任に当って、最後に破綻した日本醤油会社へ金を貸したことがある。最初、三百万円ばかりを貸して、利息も相当高利であり、だんだん取り立てて結局四万円ばかりになった。この金を払えば何のこともなかったのだが、苦しかったので岩下は原田にお百度詣りをして、待ってくれるように嘆願した。ところが、原田が頑として応じなかったので、よんどころなく岩下は、桂首相を動かせばなんとかなるだろうと思って桂に泣きついた。桂は、如何に原田だって自分のいうことなら承知するだろうと早合点して、僅かの金だから負けてやってくれいと原田に話し込んだ。これに対して原田は、僅かな金だから貰うんだ。かつこの金を取らぬからといって岩下らが生きるものでもないと、桂の圧迫を物の見事にはねつけて、とうとう一銭一厘も負けずに、取り立ててしまった。
 従来鴻池はちょんまげ頭の人ばかりで経営されており、世の進歩に後れたかの観があった。そこで、何とかしなければならないとあって、井上が当時全権行使として外国にいった島村が帰朝したのを幸いに口説き落して鴻池へ引っ張り込み、原田もまた島村やその他に勧められて、始めて鴻池へ入ったのである。以来、井上はその三井における如く鴻池の監督者となり、自然原田と接近する機会が多くなった。
 士族の商法は昔からうまくいかないに決まったもの、それに島村も少々やり過ぎたので、鴻池は損害を受け、そのために島村は責を引いて辞職し、原田が井上のお声がかりで島村の後を継いで鴻池の首脳者になった。
 島村と原田の入れ替りについて、右の他に面白い話がある。
 ある日、島村が内田山の邸に伺候して井上と会談した時、井上の逆鱗にふれ、島村は散々油を絞られて不首尾になったことがある。そこで、島村は井上の御機嫌を取り直すために一席を築地の瓢家に設け、井上を主賓として、益田孝、朝吹英二らの三井の郎党を招いて盛宴を張った。その時、よせばよいのに島村の馬鹿奴が、特別念入りの余興を井上の御前にというつもりで、芸者の手踊の後に自身保名に扮して踊り始めた。
 これを見ていた井上のまなじりが、急角度につり上って、顔面神経がピリピリピカピカと来たかと思うと、にわかに「島村の馬鹿っ」と、時ならぬ大雷が落ちた。益田、朝吹らは、それというので、この雷音にコソコソ逃げ出したが、逃げ場を失った島村はしばし呆然、ようやく我に返って恥も外聞もなく、平蜘蛛のように謝った。怨怒に燃えた井上が、そのまま席を蹴って瓢家を出たのはいうまでもない。
 丸い卵も切り様で四角、惚れた女や好きな男は何をやってもよいが、井上の不首尾最中踊って見せた島村は余程人事を解せざる没分漢だったに相違ない。一事が万事で、島村の鴻池の経営がうまく行かなかったのも当然だ。
 原田は、政治家中、井上と最も親しく、また大隈重信とも親交があった。また、桂太郎、原敬、清浦奎吾後藤新平とも交際していた。大隈は喋り上手の聞き下手で、誰彼問わず自分一人で喋っていたが、原田だけには特別待遇をして、原田が大隈邸を訪問すると、大概半日位話し込んだものだ。口数は、原田が三分の二、大隈が三分の一、すなわち原田と大隈は二対一の割合で喋った。
 就中原田は、大の井上のお気に入りで、それがために、他人から倭奸邪智の人間の様にいわれたことがあるけれども、原田ほどまた井上のために表裏ともに尽くした者は前後を通じてない。原田が、井上の知遇に感じたからだ。
 また原田は、井上の死後、掌を返す如くなったと非難する者もあるけれども、非常な見当違いだ。恐らく、原田の自信力が強く、貸借の観念がハッキリしているものだから、そういう間違った非難を浴びたのだろうと思う。それについて一つの挿話がある。
 井上は、いろいろ鴻池の面倒を見たが、金銭上の報酬を取らなかったから、原田が新川の鹿島家整理の際、鴻池で買った徹宗皇帝の筆にかかる鳩の画を井上に贈った。この画は、天下の名品として今猶お井上家に珍蔵されている。これは、確かに鴻池から井上に贈ったものだ。ところが、井上が大阪へ出掛けて鴻池家に招かれた時、座敷の床にかけてあった周文の画が、井上の気に入って一寸貸してくれないかといったので、原田は貸すつもりで井上の大阪の宿屋へ届け、後日のために受取り書を取っておいた。その後、この懸け物は、井上邸に永く飾られてあったが、井上が死んだので貸したものだから取るという主義で、受取り書を見せて取り戻したのである。かつ、井上の死んだ時、鴻池では生前の恩義に報いるため莫大の金を贈ったということである。だから、やる物はやり、貸した物は取り戻したからとて原田を非難するのは当らないのだが、原田には貸した物と、やった物との区別がハッキりし過ぎているのと、原田に対する井上の籠愛をそねむ人々の嫉妬から、原田が悪し様に言われているのは気の毒の至りだ。