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小山健三(3)

 小山は毎午前十一時を銀行における新聞雑誌記者面会時間と決めて、初対面の駆け出し貴社をも愛想よく引見して、隔意なく意見の交換を行い、記者の歓心を買うことに努めたものだ。そして、稀に無心する者があると、彼は絶対に銀行では与えず、自宅に招いて金をやる習慣にしていた。自宅ならわずかの金で済むし、しかも彼自身のポケットから出るように思わせるからだ。故に小山の十円は、和田、早川の千円の金に匹敵する位に効きめがあったわけだ。何と、大銀行大会社の首脳者諸公、小山に真似て最少の費用で最大の効果を挙げる工夫をされては如何?
 それから小山は、年一回記者仲間を招いて御馳走をし、その上帰る時は必ず家族へ土産を持たせて帰したそうだ。簡単なご馳走で、小山自身と記者及その家族を同時に結びつけるその周到な用意と智慧の働きは、仲々隅に置けたものではない。
 小山は生涯謹直一点張りで終始し、浮いた噂は一つも聞かなかった。しかし、三十四の同僚で小山の友人だった広海、竹屋、尼ヶ崎らは、妻君に先き立たれた小山の晩年に同情して、是非茶呑友達をと熱心に勧めたが、小山は一向これに耳を傾けなかった。かれこれするうちに病気になり、始めて身内に看護する者のない孤独の淋しさを感じ、胸中悶々の情に堪えなかっただろうが、剛情我慢の小山は、少しもこれを面に現わさなかった。
 ひっきょう、小山の晩年は、品行方正に祟られて苦しんだのだ。あまり道楽が過ぎて、家庭が素乱し、妻妾子女相争うのも面白くないが、小山のように老人になって孤独の余生を送らざるを得ないのもまた憐れなものだ。