まず、 事業の整理とか、算盤に明るい点において、日本で一番偉いのは荘田平五郎という人だ。この人くらい数字的にはっきりした確かな頭の持ち主は、前後を通じて匹敵する者はいまい。三菱を今日のような盤石の安きに置いたのは、岩崎弥之助という人の力、ならびに当主久弥、これもまた立派な人であるが、荘田の力も興って大きいのである。
三菱家は、初め弥太郎によって築かれた。それを弥之助という人がとても消極的な引き締めをすると同時に荘田平五郎という理屈攻めの人がいて、岩崎家をキチンとしておいたから今日に至ったのである。この人は議論好きではあったが、謹直な人だった。その時分の三菱には、岩崎を初めとして、川田小一郎、小野義真らの豪傑連が多かったから、彼奴は煙ったいくらいに思われた。年中西洋の本を読んで新しい知識を持っていた。外人が、東京に来てびっくりする程の大建築物が並んでいる丸の内が、今大東京の中心になっているのも、荘田の先見の明の然らしむるところである。
荘田は、単に三菱家の富の大基礎を作ったばかりでなく、国家に貢献したところが大いにある。消極的に、唯々勤倹貯蓄するだけでなく、西洋の文明を学び、大いに業を起こして国家のために尽くすところがあった。その一つは、保険事業である。もっともこれを考え出したのは、福沢先生であったけれども、実行に移したのは荘田の力である。今日の明治生命がそれだ。それから私設鉄道では、山陽鉄道である。荘田の力によって初めて出来たのだ。船舶の製造では、長崎造船所というのがある。これは外から払い下げられたものであるけれども、これを大成したのは荘田の力である。なお日本郵船の欧州航路を開拓したのも荘田で、自ら「ロンドン」に行ってこれを大成した。このように国家に尽くすと同時に三菱の富をステップ・バイ・ステップで大成したのは、一に彼荘田の努力の致すところである。
アメリカのヴァンダービルトという金持ちは、初め船で金儲けをして、後にニューヨーク・セントラルという鉄道を作って大を成した人だが、荘田は、このヴァンダービルトのやり方を学んだのかも知れないと私は思ってる。つまり、三菱は、初め船で富を成し、その富を更に鉄道に更えた。山陽鉄道は三菱、三井、大阪の連中の連合内閣であった。その上、九州鉄道――筑豊鉄道と九州鉄道が合併したもので、仙石貢が社長をしていたのであるが、九州鉄道の一番の大株主は三菱であった。それから日本鉄道では、三菱が十五銀行の華族の仲間に続いての大株主で、小野義真が三菱を代表して日本鉄道の副社長になったことがある。そういうような訳で、三菱は日本鉄道、九州鉄道、山陽鉄道、この三大鉄道の大株主であって、日露戦争後、西園寺内閣の時に、鉄道が国有になって交付された公債は、はっきり覚えていないが、金高にして、五億円近くと記憶する。その中の四千万円乃至五千万円――これも確かな数字は覚えてないけれども――は三菱関係の手に入った。すなわち、日本全国の鉄道公債の十分の一が三菱に入ったのだ。如何に三菱が大であったかはこれでも分る。しかも、保険、鉄道、海運等と併せて国家に貢献することも大きかった。
荘田をして、このような偉業を大成せしめたのは何かというと、前にも話したように、彼が数理と経済にかけて、天才的な頭脳と、これを実行する勇気をもっていたからだ。とにかく、荘田という男は、この点において、明治年間に生んだ一番偉い人だと思う。恐らく、岩崎弥太郎も、渋沢栄一も、そういう点では荘田に到底及ぶまい。
前にもいったように、荘田は万事理窟攻めで行くキチンとした人であったので、一見クールのように思えるが、事実は决して左様でない。よく人の面倒を見たものだ。また理屈屋は、理屈を並べるのに日が暮れて、得て消極的になり勝ちだが、荘田は消極的なように見えて、その実極めて積極的であった。深思熟考には手間取るけれども、一度こうと決めたら途中で決して動かなかった。各会社の重役会に出席しても、自ら衆に先んじて意見を吐かず、衆説を聞いて然る後に断案を下すという風で、不賛成の時は只黙っていた。彼の風格の大体は、これだけでも察し得よう。だから、彼が黙っている時は一同はこれを不賛成と認めて、彼に遠慮して実行しなかった。