なお彼について学ぶべき事は、彼が一旦その職を退くや、決して差し出がましい事を言わなかった点である。隠居爺が、かれこれと口を出すのはみっともないものだ。余計な世話はやかないに限るが、その規を越えないのは難かしいものである。
では、それほどの彼が、何故もっと偉い人になれなかったのか。面白いもので、いわゆる水清ければ魚凄まず、あまりはっきりしているから、誰も寄せ付けないのだ。喧々諤々の議論はしないけれども、理屈攻めに行くから恐ろしくなるんのだ。つまり、清濁併せ呑まなければ英雄になれない。岩崎弥太郎などは英雄だが、荘田平五郎は賢人だ。英雄ではない。
そういう訳で、荘田は万事が理屈攻めだから、人からは意地悪いように思われる。が、事実は决してそうでない。嫌な時には嫌だという理由を言う。そこが人に嫌われる。意地が悪いように思われる。一つの例として、彼が郵船会杜の取締役をしていた時分に、私の友人で伊丹二郎という郵船会社の相当の地位にいた人がある。その伊丹が、ある日廊下で荘田とひょっこり出会った。すると、荘田が伊丹に向って、「伊丹さん、郵船会社では何か蜘妹の巣を保存して置く必要があるんですか」といった。「そんなことはございませんです」「ああそうですか、それなら一つ蜘蛛の巣を掃除なすったらよろしいでしょう」「無論掃除してる筈です」「それじゃここへちょっといらして下さい」と言って廊下や部屋の隅々へ引っ張って行って、わざわざ懐中から手帳を出して、さておもむろに、「伊丹さん、この蜘蛛の巣は何日に出来た蜘蛛の巣です。この蜘蛛の巣はそれから一日遅れた何日に出来た蜘蛛の巣、それからこれはその次の日に出来た蜘蛛の巣です。これをお取りなさらないから、何か必要があって、郵船会就では蜘蛛の巣を保存なさるのかと思いました」。それには、 伊丹もすっかりイタミ入って真っ赤になって給仕に言い付けて取らせたという話である。万事がこの筆法である。
この人についてもう一つ逸話がある。私はこの人にも一向平気で、よく遊びに行って馬鹿話をしたものだ。二十年も前であったかと思うが、北陸の金沢で鉄道の懇話会があった。その時、偶然会員だった荘田さんもそこへ行ったのだが、その汽車の中で茶代の話が出た。荘田さんが、私に、「茶代を一泊五円と決めている。五円では少ないという人がいるが、私の身分で少ないだろうか、どう思いますか」と聞くから、「荘田さん、貴方の五円は多過ぎますよ。かくいう桃介が五円です」「貴方も五円ですか、何故私の五円が多過ぎるのです?」という。「貴方は宿屋に着いた所で貴方を訪問する客は極めて少ないですね。理屈屋だから行ったって気持ちがよくないから……、それから貴方は、手紙を書いて郵便に出す時分に、手を叩いて女中を呼んで郵便を持って行けとは言わない。自分で帳場へ持って行って番頭にチャンと手渡しするか、もしくは郵便のポストまで自身で行って出して来るかする。女中を使わないじゃありませんか。大概の人は寝転んで女中を使うのに、貴方は自分で着物をたたんで、鞄に入れるじゃありませんか。小さな部屋に入れられても不平も言わずにいる。して見たら貴方の五円は多過ぎますぞ」「フゥンなるほど」という訳。それくらいキチンとしている難しい人だったが、私の敬服する人は、実業界では荘田くらいのものだ。他の奴は、抜け目だらけで、一発で滅ぼすが、荘田だけは金城鉄壁であった。
この人の税についての議論は面白い。家屋税というものが一番正確に取れるから、家屋税に重心をおいて取るのが一番よろしいといっていた。その時分には一廉の見識であった。このまた先生が、三菱の長崎造船所に行っていて、造船に趣味を持ち、自分の家だか他人の寮か知らないが、艦式に設計をした家を作ったことがある。船に設計して作れば、一寸便利だが不愉快で、これだけは失敗したようだ。
福澤先生は、前にも話した通り、団子にかためて大きいかも知れないが、裏に色々の隙があった。これに引き換え、荘田という人は隙間も何にもなかったから、大きな団子にならなかったけれども、人間として、嘘を言ったこともなければ、悪いことをしたこともない。個人としてあのくらいの人格者はまずいない。
これというのは、要するに荘田が漢学の造詣深く、漢学で築き上けた立派な信念と、これに加えるに、イギリス風の堅実さで磨きをかけたからだ。ともかく日本初って以来めったに無い人格者だ。私は政治家では松田正久、実業家では荘田平五郎を一番敬服している。言い遅れたが、荘田は大分県臼杵の人で、身体は大きく、どちらかというと、平べったい特徴のない、平凡な顔の持ち主であった。