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序論(2)

 ところで、そういう人たちの中で、誰が一番偉いかということになると、偉いというデフィニションが難しいが、人間を一つの団子に丸めて欠点も美点も打って一丸として一番その団子の大きかったのは、単に教育家としてのみならず、 政治その他あらゆる方面にわたって、福沢諭吉だと、こういう人は言う。
 尾崎行雄が、日本にも大隈だの渋沢だのと、偉い人は随分あるけれども、やっぱり団子にして見て一番大きいのは福沢先生だと言った。今年の春、大石正巳に会って、色々雑談した時にも、大石は、「福沢諭吉が一番偉い――今日の日本の文明を致さしめたのも、先生に負うことが少なくなく、独立して政府にも頼らずにあれだけの威力を振ったのは確かに偉かった。それに先生は、非常に親切であった。一度先生が目をかけた人は終わりまで見捨てなかった、お世辞でなく、明治年間に接した者の中で、一番の大人物は福沢諭吉だろう」と言っていた。
 しかし、私はそういう風に感じていない。富士山と英雄は遠くから見るのがよい。離れて望んで八面玲瓏の富士も、傍に行くとアバタまじりで、汚くてとても見られたものではない。英雄もその通りで、私が福沢のそばにいたせいか、私には先生がそんなに偉いとは思えない。ある点については、先生より私の方が、よほど偉いと思うことがある。
 私は尾崎、大石のように、それほど先生を偉い大人物だとは思わないが、先生に対して感心する点は、喋ることと聴くことの両方が上手であったことだ。人間は喋ることが上手であっても、聴くことが上手だという人は稀だ。喋ることが上手な人は、世間に向って利口だという印象を与えるけれども、聴くことが上手な人は、いわゆる人を惹きつける力がある。本当に有難いと思わせる。喋ることが上手なだけでは、大人物と言われることはない。
 人間は妙なもので、自分のことを聞いてくれる人を一番喜ぶ。古語に「女は己を知る者のためにかたどり、士は己を知る者のために死す」と言うがその通りだ。自分の説を、下らないものであっても謹んで聴いてくれる人を非常に有り難く思う。福沢先生は、喋ることも上手、そして聴くことも非常に上手な人であった。大隈重信は、実に雄弁であって、演説も座談も上手であったが、人の言うことを面倒くさがって聴かなかった。ちょっと待ち給えと抑えつけて喋らせない。たまたま、フンフンと聴くことはあっても、これを取り上げることをしなかった。だから、偉い人と見られたけれども、 本当に腹の中から、この人のために馬前に討死しようという人は少なかった。
 それから、喋ることは左程上手ではなかったが、聴くことが上手な人は、政友会の重鎮で、司法大臣をやった松田正久、もしこの人が早死しなかったら、きっと総理大臣になれたであろう。風采は粗野であったが、腹の中でフフンと笑っていても、人の言うことを聴くのが上手な人であった。私が会った政治家の中で、この人こそ一番偉いと思うくらいである。この点から言うと、福沢先生は大隈重信と松田正久を練り合わせたような人物で、聞き上手きの喋り上手。確かに大人物と言ってよかろう。もちろん他に欠点もある。団十郎に比べて偉いかどうかは分らない。が兎に角、尾崎も大石もそう言うし、世間の具眼者が見ると、福沢先生が明治年間に生んだ一番偉かった人である。序論はこの位にしておく。