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岩崎弥太郎(3)

 話は少々重複するけれども、三菱は自分で船を買って経営していた間に、大久保、即ち政府が買った能率の悪い古船ばかり引き受けたので、そのままにして推移していては、あるいは財政上破綻を来たしたかも知れなかった。天なるかな、共同運輸が出来、その競争に打ち勝ち、ボロ船を高く売りつけ、それが郵船株となり、そしてその株をまた高く処分して現金を握ったので、三菱家の財産は益々安固となった。だから、春秋の筆法を以てすれば、三菱家今日の富をなさしめたものは、井上、渋沢、益田のいたずらの賜といえるだろう。川田小一郎が、後にこの事を知人に話して、共同運輪出現までは、どうしてこの多数のボロ船を処分し、能率のよい新船に替える事が出来るかと常に苦心していたのに、幸い郵船会社に高く売り付ける事が出来、やっと助かったと述懐したということだ。
 このように三菱は、船で儲け石炭で儲け、その他鉄道造船銀行で儲け、今日の巨富を作ったのだが、錦上更に華を添えたのは、岩崎の配下から多数の大人物が産出されたことである。事業はいくらでもある、それに要する金はいくらでも出来る。けれども人物はそう手っ取り早く出来るものではない。事業の成功は一に人物、二に人物、三に人物という見地から、岩崎が盛に人材を養成したからだ。すなわち、最初彼の麾下(きか)に馳せ参じた者は、石川七財、川田小一郎の両人であった。続いて荘田平五郎、小野義真吉川泰次郎近藤廉平朝吹英二山脇正勝、二ツ橋元長、内田耕作、浅田正文末延道成加藤高明といういずれも一騎当千の面々だ。就中、弥之助、川田が日本銀行総裁、吉川、近藤が郵船会社々長、また加藤高明が総理大臣になった等は最も出色している。山下雄太郎、増島六一郎磯野計らは官立大学卒業生中成績優秀の者で、岩崎の眼鏡にかなって洋行させて貰った人々。西洋人で岩崎の事業に参興し貢献した主なるものは、デンマーク人グレーブス、英国人ジェームズ、グラバーらの人々。また岩崎の配下の豊川良平は、極めて交際上手の人だったから、岩時はこの人を使って天下の人物と交遊し、これ等の中には無駄銭をやって、大酒を飲ませて遊ばせておいたのもあった。
 こういうと、岩崎は粗放磊落の人のように見えるかも知れないが、その実極めて頭の緻密な人で、すべての計画は决して計数を離れなかった。かつ無駄なことが大嫌いで、社内を往復する状袋は、一度使った古紙を裏返して使えと常々三菱の社員にいい聞かせた程であった。近藤廉平が、会社の用紙を私用に使ったといって、大変怒って罰俸を食らわしたのは有名な話である。
 岩崎が口癖のようにいった言葉がある。「…酒樽の鏡(蓋)を抜いて飲むのはいくら飲んでもよいけれども、底の方に小さな穴があって、酒が漏れて無くなることに気がつかない奴は馬鹿だ」と。真に味わうべきである。
 岩崎は各支店の報告書には自ら一々目を通して、情勢を知ることに努めた。そして、少しでも不利益不条理と思うことがあると、ドシドシ矯正させて一歩も見逃すことはなかった。
 岩崎は日本一の大富豪となり、川田は日本銀行総裁として権威を欲しいままにしたが、独り石川七財は不幸にも明治十五年「コレラ」に罹って頓死した。そのため栄冠を戴くことが出来なかった。けれども天は公平なもので、その娘田鶴は末延道成に嫁し、末延の財産は別としてその私財一千万円以上といわれている。女として、恐らく日本一の大金持ちだろう。石川もまた地下に冥すべきか。