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 小山健三は、官界から実業界に横入りし、大阪銀行界の大立物となった人物。
 各務鎌吉は、東京海上の悲運を挽回し、世界最大の海上保険会社に仕上げた。その性行は人におもねらずへつらわず、不羈独立、堂々天下の公道を潤歩する趣きがある。
 片岡直輝は、多くの乾分を養成し、大阪の官界並に財界の大御所となった。
 金子直吉は、不幸その事業は中途で挫折したとはいえ、世界をまたに手広く商網を張った我が財界の歴史的英雄だ。
 佐々木勇之助は、一人一業主義を厳守する典型的銀行家。
 辰馬吉左衛門は、船で巨富を積み、我が国における第四位の大金持ちになった。
 山下亀三郎は、浮沈転々、まさに浮世の辛酸を嘗めたが、逆境にも閉口垂れず、遂に難関を切り抜けて、今では世界で一二を争う船舶業者になり終うせた。
 巍々たる富士の高峯が雲表遥かにそびえるのを遠望しては、何人といえどもその偉大さに打たれるであろう。けれども、よく考えて見れば、もとこれ一畚の土石の累積に過ぎないのである。
 青年諸君!岩崎弥太郎、安田善次郎論を読んで、いたずらに、その富の数字の大なるに驚き、自ら不及の嘆声を発するなかれ。財界において成功するのは、さほど難しいことではない。性来の賢愚を論ぜず、身体の強弱を問わず、心掛け次第勉強次第で、普通の人間ならば容易に成功の登龍門に入ることが出来るのだ。
 さて、その心掛けというのはーー第一、倫約たるべきこと。倫約とケチとしみったれとは意味が違うという語学先生があるけれども、そんな事はどちらでもよろしい。要は、金銭は勿論、物を浪費せざるにある。観音の慈悲、老子の愛、これすなわち倫約だ。士は己を知る者のために死し、女は己を愛する者のために貌るとある通り、愛は万物を吸集する。金も無心に見えてその実有心だ。金を愛するが故に金が集るのだ。折角、一の金が出来たのに、これをパッパ追い出せば、他の金がこれを見てあの人の所へ行ってもすぐ追い出されるから行くのは止めと来る。安田善次郎、原田二郎、辰馬吉左衛門は言うもさらなり、政治家気質を多分に持った岩崎弥太郎でさえ、大の倹約家だったのだ。三菱会社の用紙を私用に使った近藤が、岩崎にひどく叱られて、罰俸に処せられたのは有名な話だ。山下亀三郎が、成金没落の悲運を免れたのも、自ら奉ずることの薄きによる。
 第二、計数を基礎とすること。算盤を離れて経済なし。荘田平五郎が三菱王国を築き上げたのも、鬼頭幸七が松坂屋を、各務鎌吉が東京海上を大成したのも、一々計数を基礎としたものだ。どうにかなるだろう位のことで、漠然とやった事業商売はあるいは「チャンス」にぶつかって、一時は花の咲くこともあろうが、結局は失敗に終わるものだ。反対に数字に立脚したものは、一時は難局に立っことがあっても必ず成功する。独り財界のみならず宇宙の森羅万象は、これことごとく数理を脱却することが出来ぬ。春夏秋冬が規則正しく去来するのを見るならば、この真理も容易に充知し得よう。
 第三、幸運を祈るべきこと。古河市兵衛は、成功は運、鈍、根にありといったが、誠にその通りだ。如何に焦っても、もがいても、運が伴わなければ成功するものではない。富田鉄之助が、松方正義と意見の衝突から日本銀行を辞めなかったなら、川田小一郎は日本銀行総帥の栄職を臝ち得なかったであろう。また、欧州大戦直前辰馬吉左衛門に三万トンの船が転げ込んで来たのも運なら、戦争中高値でこれを処分したのもまた運だ。
 ところで、この運はどうして掴めるか。
 答えは極めて簡車だ。辰馬のように方位を研究するか、神仏を信仰するにある。青年時代は、殊に科学の発達した今日では、方位が何だとか、神仏が何だとか馬鹿にして問題にしないが、科学の発達の結果から案出された「ラジオ」の出現は、絶対無限の力の存在を明白に立証するではないか。この絶対無限の力はすなわち神仏だ。神仏を礼拝しない家庭、無宗教の国家で繁栄した例がない。青年諸君、決して神仏を軽蔑するなかれ。方位に逆うなかれ。これ私が熱心に忠告して止まないところだ。