最近の調べによると山下汽船の所有船は、旭光丸、朝光丸の各一万トンを始め、大小十四艘九万四千百六十六トン、管理船六艘三万九千百九トン、定期雇船八十一艘五十五万六千八百八十五トン、トラムバー二十九艘二十万八千二百八十二トン、合計百三十艘このトン数八十九万九千百四十二トンで、遠洋方面は北米日本中国間、インド南洋間、豪州日本間六十五艘、五十四万四百八十七トンを配給し、近海方面は台湾内地間、樺太内地間、その他近海各地間六十五艘三十五万八千六百五十五トンを配船して、世界をまたに船を走らせている。山下汽船の社船管理船合わせて二十艘このトン数十三万トンといえば、我国における社外船主の随一で、辰馬も岸本も遠く及ばない、また日本郵船の所有給は六十八万トン、チャーター船を加えて同社の運用船は七十五万トンを出ない。商船はそれよりも少く、所有船は五十三万トンチャーター船を加えて六十万トンだ。だから、山下はトン数において郵船商船よりも優っているわけだ。
なお、トラムプ・スティーマーの所有者として世界に雄飛する英国の青筒会社とファーネス・ウィッジにも山下は匹敵するという。大したものではないか。それもそのはず、山下汽船の一ヶ年運賃収入は、霜枯れの今日でも二千万円から二千五百万円。しかもその大部分は、前記の通り海外航路から収得するのだ。国際金融の上に山下汽船の国家に貢献するところ甚だ大なりといはねばならない。
山下は地主の家に生れた故か、地所を持っことが好きで、船の外に東京、神戸、大阪、九州等に沢山の地所を持っている。時価で見積って総計二千五六百万円にも上るだろう。就中、代々木の大山園の五万坪、鳴尾の競馬場は主なるものだ。
山下はあまり学問がない。また事業経営に卓絶せる頭脳を持っているとも思えないが、どんな人間でも使いこなす腕を持っていると見えて、配下には随分有為の人物がいる。成金当時までは松木幹一郎、鍵谷正輔、林武平等。今では常務取締役に白城定一、小僧上がりで三十年来山下と苦楽を共にした人物で船舶界には令名がある。同内藤正太郎、福本貞喜、取締役で営業部長兼務の田中正之輔、シアトル支店長金井久唱、ロンドン支店長野坂喜代志ら、あるいは帝大あるいは高高出身で多士済々たるものがある。主人山下は多少茶目気があるけれども、これだけ役者が揃ってるんだから、事業の蹉跌を来たすようなことはままあるまい。
次に山下個人の逸話を、少々紹介する。
山下は、辰馬ほどの大金持ちにはならなかったが、その代わり世界一二を争う船舶王になり終せた。これには種々の原因がある。欧州戦争という千載一遇の景物も、その一つであれは、人を上手に使いこなす山下独特の天才も原因の一班をなしている。けれども一口にいえば、要するに彼がマメでよく動くからだ。昨晩、東京で会ったかと思うと、今朝は神戸に飛んでいる。午前、永田町で伊東巳代治とベラベラやり、その足で午後には伊香保に各務鎌吉を訪問する等、席の暖まる暇もなく、商売と社交を問わず、ハツカネズミのように常に活動している。私の知っている範囲で、恐らく山下ほど、貴賎貧富の別なく、上下を通じて交際の広い者はまずない。
山下の近親古谷久綱は、永く伊葉博文の秘書役を勤めていた。その関係から、山下も自然伊藤に接近してその知遇を受けた。また、松下軍治の死後、同人の小田原の別荘を買い取って、その因縁から山縣有朋とも懇意になった。
話は横道に入るが、先年神戸に、梅幸という舞に堪能な美人芸者がいたことがある。ある時山下は、この芸者を小田原の山縣の別荘に招いて一曲舞わせ、永らく病床にある山縣の無聊を慰めようと思った。そこで早速手紙で一夕梅幸の舞を御覧に入れようと思うが、御都合如何と山縣に問い合せた。都合など問い合せなくとも、二つ返事で快諾するだろうと思っていると案に相違して、梅幸の踊りは真平御免とキッパリ断わって来た。どうして山縣の逆鱗に触れたのか、山下は一向真相が判らず、煩悶穿鑿のうちに日をおくっていたが、段々穿裏の結果、行き違いがあったことが判明した。最初、手紙で都合を問い合わせた時に、神戸の芸者の梅幸と誠明っきだったらよかったのに、単に梅幸と書いたものだから、山縣はてっきり帝劇の梅幸と早合点し、さては貞子(夫人)が、看護疲れから自分の徒然を慰めるという口実の下に、実は貞子が見たいものだから、内緒で山下に頼んで梅幸呼寄せの段取りになったものと、ちんちん半分想像半分で一人決めに決めてしまい、さてこそまっぴらお断りと来たものである。
その後、両人相会し、談たまたまこの事に及んで大笑いとなったが、山下は只の笑いごとでは済まされないとあって、山縣に迫って直筆の謝まり手紙を書かせた。山縣大御所の謝り手紙を持っている者は、天下広しと離も、俺ばかりだと山下は常々自慢している。