こういう風に、山下は伊藤、山縣に接近したばかりでなく、田中義一、床次竹二郎、伊東己代治、後藤新平とも往来し、実業家では渋沢栄一を始めとしてほとんどあらゆる人と広く交際している。また、黒御前の異名をで呼ばれるだけに、東京、大阪、神戸の花柳杜会で、山下を知らない者はない。加うるに海軍に百万円を献じ、郷里の母の出生地である三瓶町へ高等女学校を独力で建設し、山縣公の銅像建設に五千円を奮発する等、公私の御用金には思い切って札ビラを切っている。すなわち山下は、その事業は世界的であり、天下に交際は広く、しかもよく黄白を散ずるという全く三拍子揃った男である。これほどの山下だから、勅選議員は愚か、男爵位には奏請されるのが当然なのに、遺憾ながら桃介寡聞にして今以てそんな風説すら聞かない。何故だろうか。
按ずるに、ひっきょう山下特有のマメが累をなしているのだ。すなわち、マメが山下の長所であると同時に、山下の短所でもあるのだ。
桑名の片田舎から出て天下の富豪となった諸戸清六は、気短かでマメな人だった。いつも尻端折りで玄関勝手口はいうに及ばず、縁先にも自分用の草履を備えておいて、用事があって出掛ける時は玄関へまわらずに直ぐその場から飛び出したものだ。山下もこれによく似ている。人が山下に電話で、一寸お目に掛りたいからお伺いしてよろしゅう御座いますか、といって来ると、山下は即座に、いいえお越しには及びません、只今出掛けようと思ってるところですから、私の方からお訪ねします、と果速自動車を飛ばして訪問する。そして、用事が済み次第あたふたと辞去するという寸法だ。山下に言わせると、人がすぐ来ると電話でいって来ても、仲々すぐ来るものではない。三十分なり一時間なり、その人が来るのを無駄に待つのはつまらない。かつ、その人が来て、一時間も二時間もべんべんと長談議をされても、人によっては判かりましたと話を打ち切って追い帰すことが出来ない。かれこれ、時間を空費するのは莫大な損失だから、少しばかりの油代を払っても、この方から訪問した方が得だ。かつ、手取早く要領を得られるといっている。山下のいうところ至極もっともでこれには一言もないが、このマメなところ、気軽な点が、俗界では山下を軽く見せるのだ。
山下が、成金に一歩踏出した当時買い取った小田原の松下の別荘は、二十万円の大金を投じた堂々とした邸宅であったが、大震災で片なしに潰れてしまった。高輪の本宅は成金前つくったもの、須磨の別荘もお話にならない粗末なものだ。そういう訳で船舶王山下にふさわしい邸宅はどこにもない。
また、山下ほどの身分になれば、一人や二人の従者を伴れて歩くものだが、山下は粗末な鞄と風呂敷包みを提げて一人で旅行している。これでは、世間から大紳士扱いされないのも当然だ。
山下も、折角船舶王になりおせた今日だ。百尺竿頭一歩を進めて男爵にでもなって、悪友仲間の各務や福沢らをあっと言わせてはどんなものか。
それには、まず根本的に了簡の入換えを断行する必要がある。
まず、堂々とした邸宅に住んで、出るにも入るにも立派な洋服を着た秘書を従え、金ぼたんの取次を置く。外から電話が来たら、只今は都合が悪いから何時に来いとか、只今は都合が悪いけれども、折角だから待っているとか、何とか勿体をつけて返事をさせる。そしてその人が来たら、金ボタンが大きな声でどうぞと大きなハンドルのついた扉を重々しく開く。まず洋式の応接間で待たせて、次に日本座敷へ通し、それから山下御前御着座の前へ呼びつけて、叩頭させるという尊大振りを発揮するのだ。
山下は、どちらかというと小男の方で、体重は十三貫前後、眼は乃木将軍に似て小さいけれども愛嬌がある。しかし、先代新喜楽の女将から、黒御前の尊称を奉られただけあって、色は飽くまで黒く、折角の目鼻立ちも、色黒に打消されて美男子の部に入らないのは、山下のために甚だ遺憾に思う。