さて、平生は、いよいよ営業方面を任されるとなると、経験はなし、不安でならない。しかも、立派な会社と思って入社したのに、実はほとんど破産に瀕した有様で、どうしてよいか毎日途方に暮れていた。気の毒に思った各務は、平生に向って「将来有為の青年たる君をこの難局に引きずり込んだのは、全くあい済まない。最早や運命と諦めて、君と僕と一心同体となり、生命を賭して、社運の挽回に努力して欲しい」と、熱涙を流して平生を説いた。平生は各務の熱誠に感激し、万難を排して猛進することを誓ったという。
その後、各務はロンドンから帰り、自身は営業部長となって本社詰、平生を大阪支店長として名実共に両人で会社を背負って立った。ついで会社の大整理を思い立ち、まず、従来の損失を補填するために、資本金を一時三百万円に増資したのを半減の百五十万円(払込三十七万五千円)とし、同時に積極的活動を開始し、三十三年に至って始めて一割配当が行えるようになった。その後、日露戦争で莫大な利益を収め、それから外国の同業会社に倣って火災保険を兼営し、また東明火災保険会社を創立して、ニューヨークの「ジョンソン・エンド・ヒギンス」に代理店を委託するなど、海上火災共に進出したのである。大正六年、会社の組織変更に当たって、各務は平生と共に専務取締役に就任し、欧州大戦を利して大儲けをしたのである。
その後、大正九年には財界の大ガラがあり、震災後損害保険会社は軒並不況にあえいでいるのに反して、東京海上だけは不景気知らずで、毎年順調な成績をあげ、今や資本金三千万円(全額払込済)、帳簿上の総資産は一億千万円(実値は捨売にしても一億五六千万円を下らずという)に達する。数字で具体的に示すと、明治三十三年における東京海上当時の状態は、
資本金 1,500,000円
内払込 375,000円
諸積立金 なし
政府借入金 270,000円
内払込 375,000円
諸積立金 なし
政府借入金 270,000円
であったものが、現在は、
資本金 30,000,000円
内払込 30,000,000円
諸積立金 82,600,000円
内払込 30,000,000円
諸積立金 82,600,000円
である。だから、明治三十三年に一株(十二円五十銭払込)を持っていた株主は、増資増資で、現在は十六株(一株五十円払込、額面八百円)を所有することとなり、三十三年以来、本年までに受取った配当金総額は、普通及特別配当(最低一割、最高二十四割八分、現在は二割)を合して、累計千九百七十六円六十五銭となる。この配当金を払込に充てたとすると、十六株に対する払込金八百円を差し引いて、なお千百七十六円六十五銭の剰余が出る。これは、単利計算だから、もし複利計算にすると、莫大な金額にのぼるであろう。また、現在一株の時価は二百十円だから、十六株に対しては三千三百六十円の値がある。これに前述の千百七十六円六十五銭を加えると、最初の一株の株主は、寝ていて四千五百三十六円六十五銭の純益を収めたことになる。すなわち、三十年間に三百六十倍の資産増加を見た勘定である。