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辰馬吉左衛門(2)

 古来名将は、進むを知ると共に退く時を心得ている。もし辰馬が、世間普通の凡骨であったならば、大衆とともに戦時好況の夢に浮かれてどこまで手を広げたか知れない。しかし、また彼一流の霊感から、鉄屋は鉄の買い占めに、船屋は新造船の注文に血眼になっている真最中、独り辰馬は使い古しの持ち船を叩き売り、傭船契約をも解除した。そしてうんと握った大金を、堅実主義の下に、東京海上を始め、神戸海上、辰馬海上、八千代海上等の保険事業に投資する一方、辰馬汽船や、土地では安治川土地、夙川土地、銀行では三十四等に投資した。現に、その大株主であり、また重役を務めている。こうして彼は戦後の大反動にも遭わず、大風一過の今日、元の本業に帰って、涼しい顔で銘酒白鹿醸造元の大旦那ですましている。
 どうして、彼はその大資産を作りあげたか。運も手伝ったであろうが、運ばかりで大身代が作れるものではもちろんない。
 辰馬吉左衛門は、大の倫約家だ。本年六月、聖上陛下関西行幸の砌吉左衛門家も侍従御差遣の光栄に浴した。吉左衛門の弟で、現に同家の大蔵大臣格の仕事を担任している浅尾豊一は、この機において奉送迎用としてパッカードの高級自動車を買い込んだ。これを知った吉左衛門は、浅尾を呼びつけて、その不心得を厳しくたしなめた。
「先年、八馬兼介(西の宮の豪家)さんが、貴族院議員になられた時、自動車を買いたいとあって、私に相談があった。兼介さんでさえ、私に気がねをしておられるのに、また私始め本家の多数の召使が、何れもテクで歩いているのに、お前如きがそんな立派な自動車を乗りまわすとは、沙汰の限りだ…」
 八馬兼介は、辰馬の親類でも何でもない。かつ、四千万円の大金持ちだ。それが貴族院議員に当選して、自動車を買うにつけて、辰馬の了解を求める必要はないようだが、辰馬が自動車にも乗らず、相変わらずテクで歩いているので、全く彼に対する気兼ねから、了解を求めたのである。この辺兼介も仲々如才ないが、一面辰馬の倹約ぶりと、その勢力の偉大さが窺われる。
 また、某年某日、あるよからぬ男が、事業上の援助を求めるべく、手土産持参で辰馬を訪問したことがある。
 回答を後日に約してその時は別れたが、何時まで経っても返事がない。遂に一年は虚しく経過したが、まだ何の音沙汰もない。憤慨のあまり、彼の人物は辰馬の玄関に怒鳴り込んで一年前に持って来た手土産の返却を迫った。大抵の者なら、一年も経てば、とうに処分して手元にないのだが、そこは倹約家の吉左衛門、多少うさん臭いと睨んだ心構えもあったのだろうが、奥の倉に蔵い込んでおいた例の手土産を、熨斗のまま返した。これには千三ツ屋先生、度肝を抜かれてホウホウの体で退散したという。
 現内閣は組閣以来、緊縮と節約を重要政綱の一とし、閣員それぞれ手分けしてご苦労にも街頭宣伝までやっている。趣旨は甚だ結構、更にそれを敷衍して、さしずめ辰馬は現内閣から表彰されても、よかりそうに思われる。
 辰馬は、元々からの金持ちだ。戦前においてすら二百万円あったという。それが戦時中四千万円となり、現在では億に近い。しかしながら、この大資産は、倫約だけでは出来るものでない。然らば何か。これ実に彼一流の霊感によるところだ。しかもこの霊感は、彼の方位学に関する研究から生まれているのである。