金子は「ノース」が樟脳の買い占めをしたことを知らず、樟脳が高騰したのを見て好機逸すべからずと、四十円から外国商館へ先物の売約をした。ところが、段々相場があがって七十四五円にもなった。この値上りで、鈴木商店の損失は莫大なものとなり、もし契約通り実行したら、鈴木商店は全財産を放り出しても、まだ足らぬという破目に陥った。一方、各商館からは品物を早く渡せという矢の催促が来る。さすがの金子も進退極まり、独り帳場に坐わって、算盤を前に置き、腕組みして沈思熟考に耽った。鈴木の店は普通のその時分の店と同じ構造で、奥から格子戸一つ開けると店まで見通しができるようになっていた。およねさんは、裏にいて遙かに金子の思案投首萎えるばかりの風情を見て、多分現金と帳面の辻棲が合わないから悩んでいるのだろうと推測し、金子を呼んで「直吉どうしたのか、金が足らないなら、少しくらいは奥から足してあげよう」といって慰めた。金子は、お家の浮沈に関する一大事、最早や隠すに隠されぬ瀬戸際になったので、実はかくかくの次第と、一部始終を打ち明けて只管わびいった。太っ腹のおよねさん、腹を立てるどころか小言一ついわず、そうなったらしようがない、善後策を講じようと、当時大阪の北浜で善い顔であった西田仲右衛門というよねの兄で鈴木の後見人をしている人を訪ねて相談した。西田も一人ではよい分別もつき兼ねたと見えて、先代鈴木と別懇の間柄だった大阪の砂糖商藤田助七を呼んで、西田、藤田、よね、金子の四人額を鳩めて善後策を相談した。その時西田は金子に向って、善後策とあわせてお前の一身上のことも相談するから暫く遊んで来いといわれたので金子はその場をはずしてぶらりと出かけ、安治川橋の傍ら藤沢弥三郎という店に立ち寄った。安物の樟脳を掘り出して幾分でも損の穴埋めを思い立ったからだ。店へ入って素知らぬ顔で売り物がないかと聞くと、あることはあったが、たった今七十五円で皆売ってしまったとの返事。金子は吃驚、しまったとは思ったが仕様がない。それから肥後橋の福永次郎兵衛を訪ねたが、そこでも今相場が八十円に上ったと聞いて二度吃驚。ところで、東京の銀行屋で樟脳を担保にとっている肥田景之が花屋旅館に滞在していることを思い出し、肥田ならば素人だから相場があがったことは知るまい、甘く話しかけて同人が神戸の住友倉庫に入れてある樟脳を手に入れようと、花屋で肥田に会って話している最中に、神戸の住友から電話があり、樟脳がまたまた暴騰して八十円より上になったとのことで金子は開いた口が塞がらず、三度吃驚、さよならと肥田に別れを告げて外へ出た。
もうこうなっては運の尽きだ。樟脳を探すより何か気分を転換しようものと、苦しい時の神だのみ、天満の天神様に参詣して、無事難関切り抜けの祈願をかけた。それから庭園の中にある池にのぞみ、鶴に鱒をやったり鯉に麩をやったりして、嗚呼もう人間をやめてこの鶴や鯉になりたいと熟々嘆息した。かれこれするうちに日も西山に沈んだので、もうよかろうと西田の店へ帰ってみると、三人の話が済んでいて、君は仲々大きい損をしてくれたものだ、これは自分らが神戸に行って処理する筈だが、樟脳の事は自分らより君の方がよくわかっているから君に任せる。できるだけ損失を少なくして解決せよと申し渡された。この時は最初西田に相談した時よりも樟脳が高くなっており、遥かに損失が大きくなっていたけれども、もう金子は西田に話す勇気もなく、そのままお受けして神戸へ帰った。
そこで金子は、一層責任の重大さを感じ、粉骨砕身難局切抜けを決心し、谷禎造という人を以て住友に掛け合ったら住友も同情して、破格の値段で品物を買い受けることができた。まず一安心と思っているところへ「オットライマース」の弁護士から書面で品物引渡しについての厳重な催促を受けた。当時、鈴木の最も多量の売約先は「シモン・エバー」だったから、まずこの商会を口説き落すに如かずと、この弁護士の書面を持参し、短刀を懐にして、同商会に行き、「シモン」に面会して、かく八方から責められては鈴木は破産する他ない。平生引き立てて下さる貴商会にできるだけ義務を尽くそうと思うが思うに任せぬ。僅かの品物と三千五百ドルで勘弁して頂きたい。できぬとあらば主家鈴木に対しこの金子が申し訳なし、この場においてハラキリ(当時金子はまだ純心な青年だったから、本当に切腹の決意があったともいう)をやるまでだと、金子得意の富楼那の弁舌で「シモン」を口説いた。「シモン」も金子の熱誠に動かされたと見え、幸いモスリンの商売りで思わぬ儲けがあったから、これで鈴木の契約不履行による損を補填するが、なお五千ドル足りないから出せという。金子は三千五百ドルに負けてくれという。かれこれ押し問答の末、四千ドルでけりがついた。これで成功した金子は勇気百倍、同じ手で「オットライマース」その他をすべて片付けてしまった。
自分の方の商売の失敗はひとまず片付いたので油が乗って来た金子は、肥後橋の福永が、やはり樟脳を「ラスペ」に売約して困っているのを口をきいて仲裁してやった。そして円満に片付いたので、謝礼として福永から三千円、「ラスペ」から三千円、都合六千円貰った。樟脳の失敗で鈴木商店は現金一文なしになったのが、この六千円を資本として再び商売を続けているうちに運よく金儲けができて、三十年六月には十万円くらいの銀行預金が出来た。この十万円が活躍して鈴木商店が大をなす基になったのだ。