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金子直吉(6)

 実業家の風貌も、二代三代となると自然メッキがのって綺麗にもなれば、品も出来るが初代の御面相はお話にならない。渋沢栄一大倉喜八郎古河市兵衛根津嘉一郎らいずれも皆しかり。殊に、金子と来ては抜群なものだ。
 金子は身の丈五尺二寸五分、体量十五貫八百目の中肉中背、この方はまあよいが、ロは大きく鼻低く、眼は小さくて、しかも六度の近眼だ。加えるに色あくまで黒く、まるでインディアンのようだ。ともかく、人並外れた醜男である。
 先代岩次郎が死んで、およねサンが後家主人になった。もし、金子が普通の御面相ならば、恐らく妙な噂が立ち、そのため鈴木の経営上にも支障を来たしたであろうが、醜男のありがたさでそんな風評はふつと無かった。
 醜男でも、朝吹英二のような道楽者もあったが、金子は巳むを得ずに諦めたものか、度々述べた通り極めて品行方正、この点においては確かに人間離れしている。
 ある日金子は一日の仕事を終えて、神戸の店から須磨の自宅へ帰ろうと電車にのった。車中で、一人の婦人がお辞儀をしたから、金子も挨拶を返した。電車を降りて坂道を上ると、その婦人もついて来た。その時には、別に何とも思っていなかったが、家に近づいて始めてそれが自分の妻君であったことに気がついたという。
 金子は朝起きるから、夜寝るまで、仕事の他に何一つ考えない。女房の顔を見忘れるのも無理はない。女房を忘れるくらいは、まだよいとして、仕事のためには時に自分を忘れる。いつだったか、近所の床屋へ飛び込んだ時のこと「旦那たった二時間程前に剃ったばかりじゃありませんか」と言われてはっと気が付き慌てて飛び出した。それが往々の事だという。もっとも、金子は、何かムシャクシャしたことがあると、今剃ったばかりでも何でも、時を構わず床屋へ飛込んで、床屋の親爺を驚かす妙な癖があるにはあるんだが…。
 話は違うが、女房の角は、何とかで折るという喩えがある。夫婦喧嘩をしても、翌朝になるとお互いに笑顔で向きあうのは何のためか。
 君子の交りは淡きこと水の如く、小人の交りは濃きこと油の如く、ゴム糊の如し。水なるが故に、さっと流れて跡をとどめないが、油なるが故に、ゴム糊なるが故に、くっついたら最後離れない。男女の関係、人間相互の関係もまたこのように、醜い経緯が両者を結びつけるのに最も強力なかすがいになるのだ。高師直、塩谷判官、桃井若狭の三角関係を、お芝居で見た人は、なるほどと合点が行くであろう。
 今も昔も、人情には変わりがない。近代において各務鎌吉原田二郎のように、黽勉力行勤倹貯蓄によって事業に成功し、資産を作ったものもないではないが、世間を驚かすほどの大資産家、大事業家にして、君子の交りは淡きこと水の如しと澄まし込んで、まんまと成功したものが、どこの世界にあろうか。
 金子は婦人の愛情がどこから湧出するか知らない。従って、俗会に処するには、汚い媒介物が必要だということをご存じない。世界を股にかけて、あれほど大きな商売をし政府関係の台湾銀行、並びに同行を通じて日本銀行から莫大な借金をしながら、鈴木の財産信用と自己の弁舌の力を以てなし得たものと信じ、あらかたな要路の生き神様へしかるべくお賽銭を上げて置くべき事を念頭にかけなかった。それが鈴木没落の最大原因である。
 金子は、政治家に知人が多い。殊に台湾で砂糖樟脳等の事業に関係した故か、後藤新平と親交があった。また同郷のよしみとでもいうか、浜口雄幸とは最も親密な間柄だ。後藤が逓信大臣になった時、浜口は後藤の下で次官になったが、両者を接近させたのは全く金子の力である。また浜口が同志会ーー今の民政党ーーの党人になったのも金子の勧説による所だ。
 このように金子は、後藤、浜口と親戚以上の付き合いをしていたが、一度だって自腹を切って芸者を世話したことがないーーもっとも、後藤はそうでもないが、浜口に芸者をといったら恐らく絶交するだろうーーいわんや、後藤が政治運動を始めるといっても、浜口が寒嚢をはたいて国事に奔走していても、さぞかしご不自由でしょうと気を利かして一封を献上するようなことはしない。ただ親交があったというだけのことだ。
 だから、皮肉にも浜ロピカイチの若槻内閣当時において金子が没落したのだ。もし、金子にして、民政党の党費に百万か二百万の端金でも出していたならば、それこそ憲政の大恩人として、浜口はともかく、他の民政党の連中が放って置かない。寄ってたかってあらゆる手段方便を尽くして金子を助けたであろう。このお賽銭を出してなかったばっかりに、荒神様のご霊験なく、みすみす見殺しにされたのだ。