大阪日本橋に、デパートメント・ストアを開設する説が起こったときのこと。今暫く、景気の回復を待った方がよかろうという議論が出たが、鬼頭が社長の次郎左衛門に提出した意見書によると、大阪日本橋筋三丁目を中心として、何十町かの円形を描き、その円内に居住する家々の営業税及び所得税等を詳細に記載し、これだけの収入があるから、その購買力は何程、商売屋の数は何程、その小売店が何程売って、その残りの何程を松坂屋で吸集することが出来るという綿密な数字が列記してあった。だから、不景気だからといって失敗することはなく、万一失敗するとしても、その地所を売り払って引き上げてもよいと、一点の非難をも加えることのできない議論だったので、一同これに同意して、大阪に新築することになった。しかも鬼頭はかねてから大阪支店開設の下心があり、その十数年前日本橋に千坪程の地所を他人名義でひそかに買い取って置いたので、土地の値上りだけでも、建築費を償ってなお余りがあった。こういう風に鬼頭の計画は、すべてが数字に立脚するものだ。
大阪開店に絡んで、鬼頭の面目躍如たる一挿話がある。開店の披露に、府知事市長を始めとし、紳士紳商を招待し、名古屋から芸妓を呼び寄せて、大盛宴を張ろうという意見が出た。しかし鬼頭は、それは無駄だ、百貨店は一般公衆を相手にするものだから、たとえ立派な身分の人々でも、少数を招いては効力がない。また呉服屋は、花柳界の反感を招いても面白くない。名古屋芸者を呼ぶくらいなら、土地の芸者を呼んだ方がよい。それよりも御近所へ店員に手拭いを配らせて挨拶させるのが一番だと主張した。ところが、その計画はよいとして約十万軒へ手拭いを配ることは実際問題として容易でない。店員総出で配っても、十日はかかるだろうという者があった。これを聞いた鬼頭は、言下に例の手帳を取り出して、自分が小僧の時、番頭さんのお伴でお得意先へ年始にまわって手拭いを配ったことがあるが、一日百戸まわったから、これに準じてやればよい。今その予定数は十万軒、店員千二三百人で、一日に優にまわれると。これを実行したところ、果して鬼頭のいった通り、一日で楽々と手拭いを配ったという。なお一つ、鬼頭について感心すべきは、その手拭い配りに際して、店員全部を一堂に集めて口上を教授訓練させ、どこの家へも甲乙の差別をつけずに、一様に丁寧な言葉で挨拶してまわらせた。仏者の所謂「一切衆生皆平等」の呼吸である。
鬼頭は、外に対して平等であるのみならず、内に対しても平等の実行者だ。東京地の端の店員寄宿舎で、小僧と一緒に風呂に入り、小僧と一緒に食事して、それで少しも態とらしくない。松坂屋の営業所内で、誰かに鬼頭さんと呼ばれると、「へい」と気軽に頭を下げて返事をする。その態度は、純然たる昔の呉服屋の番頭さんそのままである。
松坂屋には現在名古屋、東京、大阪、京都で約七千人の使用人がいる。事業は人にありを堅く信奉ずる鬼頭のこれらの人々に対する心づかいは大変なもので、先年名古屋朝日町の寄宿舎に火事があったことから、大切な他人の子供を預って怪我をさせては親たちに申し訳がないと、東京池の端の寄宿舎は、大金を惜しまず耐震耐火の鉄筋コンクリート建築にした。面白いことにはすべて軍隊式にラッパの合図で起床、就床、食事等の動作をすることだ。また、時々寄宿舎へ学者僧侶を招いて説教講演を依頼し、店員の精神修養に努めている勤務に堪えざる者に対する給与等についても多大の注意を払い、手厚く待遇している。これでは、松坂屋の使用人に不平を訴える者のない道理だ。
鬼頭は五六年前、右手にリュウマチを患って、医者から右手が使えぬようになるかも知れぬと宣告されたことがある。それ以来、左手で食事をし、物を書く稽古をして、今では立派に左手で用をたしている。その後、右手が治ったので、宮本武蔵ではないが現在は両刀使いとなり、一本予備が出来たと鬼頭は喜んでいる。