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豊田佐吉(3)

 豊田は、身を奉ずること極めて薄く、また公共のことに関して、おざなりの寄付を好まないようだが、発明は自分の生命であり、これに関しては財産は愚か、生命を打ち込むのも敢えて辞さぬ風がある。先年も、発明協会に百万円を寄付してケチな名古屋人を驚かしたのは、有名な話だ。
 豊田が、豊田式織機会杜の社長在職中の月給は五百円であった。ところがどういうものか、毎月二百五十円より家へ持って帰らない。女房のお浅は、さては夫は近頃身分が少しくよくなったので、妾狂いを始めたんだ、それで月給が半分その方へ持って行かれる、てっきりそれに違いないとチンチンを起こし、ある時佐吉に向って「私も年をとって来たし、それにあなたも会社の社長さんといわれる身分になったのですから、妾の一人くらい置いたとて、別に吝気を致しません。ですから、ついこうこうと打ち開けて下さい。今のように黙っていられては水臭いじゃありませんか」と詰め寄った。だが、佐吉には身に覚えのないことで合点が行かず、「そんな事は絶対にない」と打ち消すけれども、女房はいっこうに聞き入れない。いろいろ押し問答の末、それでは月給を五百円もらいながら、二百五十円より家へ持って帰らないわけはと、とうとう証拠をつきつけて正面から詰問した「あは…そのことか」とつい口の辺りまで出かけた可笑しさをぐっと堪えて真顔にとりすまし、「そうしかと動かぬ証拠を挙げられては白状する。実は西洋人の妾を置いたんだ」と、とぼけて見せた。これを聞いた女房は驚き呆れて、「平常日本のために慷慨するあなたが、西洋人を妾にするなんて、一刻でもそういう非愛国者の妻たることが辱ずかしい。只今限りお暇を頂戴する」といい出して、とうとう女房の方から三行り半を要求されてしまった。
 しかしながら、実のところ豊田の妾は、西洋人には違いないが、女でなくて男だった。しかも年は四十前後、身の丈六尺豊かの筋骨逞しい偉丈夫であった。当時会社で、その西洋人を雇い入れようとしたが、要求の月給五百円はおろか、半分の二百五十円より出せなかったので、豊田が自分の月給のうちから半分の二百五十円を割いてその西洋人を雇入れたのであった。後で、この事実が判明して、女房のお浅は、前にもまして豊田を敬愛するようになったという。